「チャットの通知音が鳴るだけで、心臓が跳ねるように痛い」
「職場のトイレで、理由もないのに涙が止まらなくなる」
「上司の些細な溜息が、自分への『死刑宣告』のように聞こえる」
……。そんな経験はありませんか?
例えば、周囲からは「真面目で責任感が強い」と評価されているけれど、内面ではいつも「私が悪いんだ」「いつか見捨てられる」という嵐が吹き荒れ上述のような体験で悩む方も多くいらっしゃいます。
真面目に働こうとすればするほど、身体が言うことを聞かなくなる。それは、あなたが「弱い」からでも、「性格に問題がある」からでもありません。
長年の生きづらさや、いわゆる「アダルトチルドレン(AC)」としての苦しみの背後には、「複雑性PTSD」という、脳と神経系の深い傷が隠れていることがあります。この記事では、最新の脳科学と心理学の視点から複雑性PTSDの症状、そして原因を解き明かします。読み終える頃には、あなたの苦しみのメカニズムが少し見え、回復へ繋がるヒントが得られるかもしれません。
その生きづらさ、実は「複雑性PTSD」が原因かもしれません
職場で感じる「理由のない不安」や「過剰な緊張」。これらは単なるストレスではなく、あなたの脳が発しているSOS信号かもしれません。
職場の「些細な刺激」に、身体が過剰反応してしまう理由
例えば、上司が眼鏡の位置を直しながらついた小さな「ふぅ」という溜息が、強烈な恐怖のスイッチになること、また、理性では「ただの溜息だ」とわかっていても、身体は瞬時に強張り、喉の奥に何かが詰まったような感覚(ヒステリー球)に襲われる、というお話をよくうかがいます。
こうした体験や似たような体験があるとしたら、あなたの神経系が「今の環境」を「過去の危険な環境」と誤認して、「脳が非常に強い警戒信号を発している状態」に入ってしまうために起こっている可能性があります。
「理由のない涙」は、脳が発しているSOS信号
会議中や作業中、特に悲しい出来事があったわけでもないのに、ツーッと涙がこぼれてしまう。これは心理学的には「情動調節不全」と呼ばれる状態の可能性があります。情動調節不全によって生じている流涙だとしたら、あなたの自律神経が「脅威」に対してオーバーヒートし、溢れ出した生理的な悲鳴とも考えられます。
なぜ「自分が悪い」と自分を責めてしまうのか
「私がもっと完璧にやれば」「私が我慢すれば」。そう自分を責めてしまうのは、過酷な環境を生き延びるために脳が選んだ「生存戦略」かもしれません。自分を悪者にすることで、予測不能な親の機嫌や周囲の環境を「自分が努力すればコントロールできるはずだ」という、かすかな希望を持ち続けようとした名残なのです。
複雑性PTSD(C-PTSD)の症状とは?単回のPTSDとの違い
「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」という言葉は聞いたことがあるかもしれません。しかし、近年、それとは異なる「複雑性PTSD」という概念が重要視されるようになりました。
「単発の衝撃」か「逃げ場のない繰り返しの傷」か
- 単回のPTSD(タイプIトラウマ): 交通事故や災害、一度きりの暴行など、単発で起きた衝撃的な出来事によって生じます。
- 複雑性PTSD(タイプIIトラウマ): 幼少期の虐待、ネグレクト、家庭内暴力など、逃げ場のない環境で「長期間、繰り返し」行われた対人的なトラウマによって生じます。
最新の診断基準(ICD-11)が定義する「自己組織化の障害(DSO)」
世界保健機関(WHO)が定める最新の診断基準『ICD-11』では、複雑性PTSDには通常のPTSD症状に加え、「自己組織化の障害(DSO)」と呼ばれる3つの特徴が加わるとされています。
- 感情調整の困難: 感情が爆発しやすい、あるいは逆に何も感じなくなる「麻痺(場合によっては解離)」の状態。
- 否定的な自己概念: 「自分は無価値だ」「自分は根本的に壊れている」という、根深い恥の感覚(毒性の恥)。
- 対人関係の障害: 他者を信じることが難しく、親密になることを避けてしまう。
なぜ「親との関係」がこれほど深い傷になるのか
「アダルトチルドレン(AC)」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。実は、ACと複雑性PTSDには密接な関係があるのです。
「AC」は状態の自認であり、「C-PTSD」はその背景の一つとなりうる精神医学的な説明概念
ACは、機能不全家族で育ったことで社会生活に困難を抱える「状態」を指す言葉です。一方で複雑性PTSDは、その困難が脳や神経系にどのように刻まれているかを示す「精神医学的な診断名(一つの説明概念)」です。ACという苦しみを理解するための、一つの説明概念が複雑性PTSDであるとも言えます。
過酷な環境を生き延びるために適応しすぎた「生存戦略」
子供にとって、親から見捨てられることはある意味で「死」を意味します。不機嫌な親のもとで生き残るために子どもは役割を演じます。その役割には、例えば、不機嫌な親を笑わせる「ピエロ」、期待に応え続ける「ヒーロー」、存在を消して耐える「ロストワン」など、が挙げられています。
役割演技もそうですが、不機嫌な親の顔色を過剰にうかがうことは原家族という「戦場」を生き延びるために作り上げられたサバイバル・スキルです。
あなたが職場で周囲の顔色を過剰に伺ってしまうのは、そのサバイバル・スキルが、平和な現在でも作動し続けているからなのです。
【事例紹介】職場のトリガーに苦しむAさんのケース
ここで、当オフィスに相談に来られた方の事例をご紹介します。
30代女性・デザイナーAさんの事例:
Aさんは、プロジェクトの修正依頼が来るたびに「自分は無能だ」という強烈な恥の感覚に襲われ、手が震えて作業ができなくなっていました。詳しくお話を伺うと、幼少期にテストで100点を取らないと母親から数日間無視されるという経験を繰り返していました。彼女にとって「修正=間違い=無視(生存の危機)」という回路が脳に固定されていたのです。
EMDRを含めた心理療法・カウンセリングのセッションを重ねるごとに、「これは仕事のフィードバックであり、私の価値とは関係ない」と身体レベルで実感できるようになり、現在は適度な距離感で仕事に向き合えています。
※こちらの事例は、当オフィスに来る方の平均的な経験を紹介する架空のものです。効果には個人差があり、特定の成果を保証するものではありません。
あなたの脳で起きている「3つの設定」
なぜ、過去のことなのに今も苦しいのか。それは脳の「プログラム」に幼少期の名残が残っているからです。
1. 扁桃体:壊れた火災報知器
脳の「扁桃体」は、危険を察知する『火災報知器』です。複雑性PTSDの方は、この感度が常に最高レベルに設定されています。上司の溜息という「湯気」程度の刺激を、脳が「大火災発生!」と誤認し、動悸や冷や汗というスプリンクラーを全開にしてしまうのです。
2. 海馬:整理不良のファイル
本来、嫌な記憶は「海馬」という場所で「過去の出来事」としてタグ付けされ、アーカイブに保存されます。しかし、強すぎるトラウマは「過去の出来事」として脳内に保存されません。結果として、20年前の恐怖が「現在進行形の脅威」として脳内で再生されてしまいます。これが、理由のない涙や突然のパニックの正体となっていることもあります。
3. ポリヴェーガル理論:強制シャットダウン
仕事中に頭が真っ白になって動けなくなるのは、脳の「安全ブレーカー(背側迷走神経)」が落ちた状態です。パソコンがが熱暴走を防ぐために「強制シャットダウン」するのと同じで、あなたの心を守るために身体が一時的に活動を停止させているのです。
言葉にしづらいトラウマ記憶の消化を促す「EMDR」という選択肢
「過去を話すのが怖い」「言葉にできない」。そんな方にこそ、EMDR(眼球運動による脱感作と再処理)という心理療法が助けになる可能性があります。
- 無理に話さなくていい: 辛い記憶を詳細に語る必要はありません。
- 脳のデータを「再処理」する: 眼球運動などの刺激を使い、脳が、脳内に散乱した「過去の記憶」を過去のものとして適切に処理するのを助けます。
- 安全性を最優先: いきなりトラウマを掘り起こすことはしません。まずは「今、ここ」の安全を感じる練習(リソーシング)から始めます。
より詳しいEMDRの仕組みについては、トラウマへの心理療法「EMDR」とは?効果・流れについて専門家が解説もご覧ください。
まとめ:これまで生き延びてきたこと、その証
複雑性PTSDは、あなたの性格の欠点ではありません。あまりにも過酷な環境を生き延びるために、脳と神経系が必死に適応しようとした「努力の結晶」であり、「サバイバルの証」とも言えます。
とはいえ、日常化してしまっているサバイバル反応は、上述のように脳のシステムエラーと言えます。そのシステムエラーは、適切なケアによって和らげることができますし、そうすることでより生きやすい方を目指していくことができます。
はじめの一歩として、「今、ここ」の安全を少しずつ実感できるようになることが大切です。
秋葉原心理オフィスMAYでは、あなたのペースを尊重しながら、共に回復の道を歩みます。
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参考文献
- 世界保健機関(WHO)『国際疾病分類 第11版(ICD-11)』
- ベッセル・ヴァン・デア・コーク著『身体はトラウマを記録する』
- ピート・ウォーカー著『複雑性PTSD:生き延びるためのガイド』
- 日本EMDR学会資料
- Porges, S. W. (2011). The Polyvagal Theory: Neurophysiological Foundations of Emotions, Attachment, Communication, and Self-regulation.