職場のトイレで、理由もなく涙が止まらなくなる。
チャットの通知音が鳴るたびに、心臓が跳ね上がるような恐怖を感じる。
周りの何気ない「ふぅ」という溜息に、「私はもうダメだ」と絶望してしまう……。
日々一生懸命働くあなたは、そんな自分を「メンタルが弱い」「社会不適合者だ」と責めてはいませんか?
もしあなたが今、言いようのない生きづらさを抱えているのなら、まず最初にお伝えしたいことがあります。
その苦しみは、あなたの性格のせいではありません。
それは、かつてあなたが生き延びるために脳が必死に構築した「防御システム」が、今も作動し続けているサイン——いわば脳からのSOS信号なのです。
この記事では、トラウマが脳や身体にどのような影響を与えるのかを解き明かし、長年の苦しみを和らげて「自分自身の人生」を取り戻すための道筋を、臨床心理士・公認心理師の専門的な知見から分かりやすくお伝えします。
1. その「理由のない涙」は身体の叫び。トラウマが日常を侵食するメカニズム
1.1 職場の些細なきっかけで「フリーズ」してしまう理由
仕事中、修正指示や上司の沈黙に対して頭が真っ白になったり、指先が冷たくなったりすることはないでしょうか。
頭では「ただの仕事のやり取りだ」と分かっていても、身体が震え、心臓がバクバクしてしまう。これは、あなたの脳が現在の状況を「命の危険」と誤認して、生存本能である「戦うか・逃げるか・凍りつくか(闘争・逃走・凍結反応)」を起動させている状態と言えます。
これは、脳の中の「扁桃体」という部分が脳をハイジャックして、生存のために全エネルギーを投下している状態です。言うなれば、何千年も前の人間が原始的に暮らしている時から存在する、危険から命を守るためのシステムが、職場の些細なきっかけで発動しているのです。
1.2 「感情的フラッシュバック」:大人の理性を追い越す子供の頃の絶望
事故の後などに経験することが多い通常のPTSD(心的外傷後ストレス障害)では、事故などの鮮明な映像が蘇ることが多く報告されています。複雑性PTSDにおいても映像を伴うフラッシュバックは起こりえますが、鮮明な映像を伴わない、感情や感覚が優位なフラッシュバックも起こりえます。映像が伴わず感情が優位なフラッシュバックを感情的なフラッシュバックと言い、日常的な傷つきの累積によって起こるトラウマによって引き起こされることが多いです。
これは突然、子供時代に感じた「自分は無価値だ」「見捨てられる」といった圧倒的な恐怖や絶望感に叩き落されてしまう現象です。感情的フラッシュバックはそれに陥っていることに気づきにくく、理由も明確に分かりにくいからこそ、何となく「自分がおかしい」という結論に至ってしまう方が多いのです。
2. PTSDと「複雑性PTSD」の違いとは?
2.1 単発の衝撃と、逃げられない環境での累積
PTSDには大きく分けて2つのタイプがあります。
- 単一性PTSD: 災害や事故、犯罪被害など、一回性の強烈な衝撃によるもの。
- 複雑性PTSD(C-PTSD): 幼少期の虐待、ネグレクト、機能不全家族など、逃げられない環境で長期反復的に受けた傷つきによるもの。
例えば、親の顔色を伺い続けなければならなかった環境は、小さな子供にとってはいわば、「密室での慢性的な戦場」なのです。そこで繰り返された微細な否定や無視は累積し、複雑性PTSDの要因となりえます。
2.2 過酷な幼少自体を生き抜いた「身体の生存戦略」
今あなたが苦しんでいる過覚醒や不安、自己否定といった症状は、かつて過酷な環境を生き延びるために、脳が必死に編み出した「生存戦略」の結果です。当時のあなたにとって、それらの反応は生き延びるために「正解」でした。ただ、平和な現在において必要のなくなったその設定が「ON」のままになっているために、あなたを苦しめているだけなのです。
3. 【脳科学で解説】複雑性PTSDの脳で起きる「3つの誤作動」
なぜ「わかっているのに止められない」のか。それは脳で自動的に発動されるプログラムの問題だからです。幼少期に学んだプログラムが、自動的に作動している状態となっています。
3.1 仕組み①:扁桃体
脳の奥深く、側頭葉の内側に位置する「扁桃体」は、危険を察知する火災報知器のような役割をしています。トラウマを抱えた脳では、この報知器の感度が最大に固定されています。
上司の溜息という「タバコの煙」程度の刺激を、「大火災発生!」と誤検知して非常ベル(動悸・パニック)を鳴らしてしまうのです。
3.2 仕組み②:海馬
扁桃体の近くに位置している「海馬」は新しい記憶の形成と整理の役割を担っています。通常、出来事は「海馬」によって「過去の記憶」として整理されます。しかし、強烈なストレス下では海馬がうまく機能しません。
その結果、子供のころに強烈なストレス下で経験した過去の悲しい記憶が「20年前」と過去のものとして整理されず、今この瞬間の出来事として再生されてしまうのです。
3.3 仕組み③:背側迷走神経複合体
「交感神経系(興奮・活動)」、「副交感神経系(休息・消化)」はよく聞いたことがあるかもしれません。実は、精神生理学者のスティーヴン・ポージェス博士が唱えるポリヴェーガル理論では、極度の危険下で起こる「凍結(フリーズ)」反応を、最も原始的な防御システムである「背側迷走神経複合体」の働きとして説明しています。
これは、危険すぎて闘争や逃走といったエネルギーを要する手段が使えないと脳が判断した際に、生命維持のためにシステムが物理的に壊れるのを防ぐ目的で、脳が強制的にブレーカーを落とした状態(シャットダウン)なのです。突然動けなくなったり、感覚が麻痺したりするのは、怠慢ではなく、あなたの身体が命を守るために発動させた究極の生存戦略なのです。
4. 複雑性PTSDに効果的な心理療法とは
4.1 複雑性PTSDによく用いられる「話すこと」を中心とした心理療法
複雑性PTSDの治療は通常、「安全の確保と安定化」「トラウマ記憶の処理」「社会への再統合」という段階を経て進められます。初期段階では、認知行動療法(CBT)や精神力動的なアプローチなど、「話すこと」を通じて症状や思考パターンを整理するカウンセリングも多く用いられています。これらのアプローチは、過覚醒や不安といった症状への対処法を学び、日常生活での安定を取り戻す上で重要な役割を果たします。
4.2 「話すだけ」の心理療法の限界
トラウマの記憶は、言葉を司る「左脳」ではなく、イメージや身体感覚を司る「右脳」や「生存脳」に深く刻まれています。そのため、どれだけ言葉で過去を振り返っても、身体の反応を変えるのには時間がかかります。
4.3 EMDR:記憶の整理整頓(デフラグ)
EMDR(眼球運動による脱感作と再処理)は、左右に目を動かす刺激を与えることで、止まってしまった脳の情報処理プロセスを再開させる手法です。
例えるなら、デスクトップに散乱した重いデータに正しいタグをつけ、「過去のフォルダ」へと整理整頓(デフラグ)する作業に近いと言えます。
[EMDRについて詳しく知りたい方はこちら:EMDR解説記事]
5. 安心して改善を進めるための3つのポイント
カウンセリングを受けること自体、勇気がいることだと思います。「パンドラの箱を開けてしまうのではないか」ととどまってしまう方も多いです。安心して心理療法を進めるため、秋葉原心理オフィスMAYが心がけている3つのポイントをご紹介します。
5.1 「すべてを語らなくてもいい」という安心感
EMDRなどのアプローチでは、辛い過去の詳細を事細かに話す必要はありません。EMDR以外の心理療法でも、あなたが感じている「感覚」や「イメージ」にアプローチすることも可能です。そのため、知られたくないこと、心のうちに留めておきたいことを保って進めることもできます。
5.2 常にあなたが「ブレーキ」を握る主導権の回復
セッション中、辛くなったらハンドシグナル一つでいつでも中断できます。あなたのペースを最優先に守ります。
5.3 まずは「安全な場所(リソーシング)」作りから
いきなりトラウマに向き合うことはしません。まずは今の生活を安定させ、脳内に「心の避難所」を作ることから始めます。準備が整わないうちに無理をさせることは決してありません。
事例
事例:Aさん(代表的な事例をいくつか組み合わせた架空の事例です)
Aさんは、幼少期の「自分が悪い」という自己否定感から、職場で上司のフィードバックを受けるたびに過覚醒状態に陥り、眠れなくなっていました。特に、自分のデザイン案を出す際は「どうせ否定される」という感情的フラッシュバックに襲われ、過剰に謝罪したり、予約メールすら数日かかってしまうほどの拒絶の恐怖を抱えていました。
数回のEMDRセッション後、脳内で情報処理が整理されると、職場のフィードバックと「過去の否定」とを切り離して受け止められるようになり、過剰な謝罪が減少。自分のデザイン案に自信を持って提案できるようになり、本来のクリエイティブなエネルギーを取り戻しました。
6. 根本解決のために:親子関係のトラウマと「自分を愛する権利」
複雑性PTSDの背景には、多くの場合「親子関係のしがらみ」や「愛着の傷」が隠れています。「自分がここにいてもいい」という安心感を取り戻すことが、本当の意味であなたらしい人生を送るための第一歩となりえます。
[アダルトチルドレン(AC)から卒業し、自分自身の人生を歩むための完全ガイド]
まとめ:あなたは、もう一人で戦わなくていい
今、あなたが感じている苦しみは、あなたが「弱い」からでも「甘えている」からでもありません。あまりに過酷な状況を、あなたの脳と身体が必死に生き延びてきた証でもあります。
けれど、もうその重い鎧を脱いでも大丈夫な時期が来ているのかもしれません。適切なケアによって、脳のシステムをアップデートすることが可能です。
秋葉原心理オフィスMAYでは、あなたのような「生きづらさ」を抱える方のトラウマケアに特化しています。まずは、あなたの今の感覚をそのままお聞かせください。
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(オフィス:秋葉原心理オフィスMAY 〒101-0025 東京都千代田区神田佐久間町)
監修者紹介
猪野 哲(いの さとし) 臨床心理士・公認心理師 / 秋葉原心理オフィスMAY 代表 (プロフィールはこちら)
参考文献
- Walker, P. (2013). Complex PTSD: From Surviving to Thriving. Azure Coyote Publishing.
- van der Kolk, B. (2014). The Body Keeps the Score: Brain, Mind, and Body in the Healing of Trauma. Viking.(邦訳:『身体はトラウマを記録する』)
- Porges, S. W. (2011). The Polyvagal Theory: Neurophysiological Foundations of Emotions, Attachment, Communication, and Self-regulation. W. W. Norton & Company.
- 日本EMDR学会. 「EMDRとは」 https://www.emdr.jp/
- 厚生労働省 e-ヘルスネット. 「PTSD」 https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/heart/yk-052.html